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〈仏教3.0〉を哲学する バージョンII

,藤田 一照

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ペーパーバック : 304ページ pages
作者 : 藤田 一照
コレクション : 本
ISBN-10 : 4393134303
フォーマット : 単行本
発行日 : 2020/2/25
本のタイトル : 〈仏教3.0〉を哲学する バージョンII
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内容紹介 自己は仏というスローガンばかりが先行し、メソッドのはっきりしない従来の日本の仏教「仏教1.0」、メソッドははっきりしているがテクニックとスキルに走るテーラワーダ仏教「仏教2.0」、これらを超えた〈仏教3.0〉を目指す二人の仏教僧と、一人の哲学者の鼎談集。大きな反響のあった『〈仏教3.0〉を哲学する』のコンセプトを引き継いで、今回は仏教の実践における他者と慈悲の問題を、瞑想実践での体験や哲学の理論を通して論じる。 内容(「BOOK」データベースより) “仏教瞑想”と“哲学”が出会うとき。瞑想とは何か、他者とは誰か、そして慈悲とは。“仏教3.0”をさらにバージョンアップ。“宗教”の未来を切り拓く、衝撃の鼎談集! 著者について [藤田]禅僧。1954年愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。87年渡米、禅の指導・普及に従事、2005年帰国。曹洞宗国際センター前所長。オンライン禅コミュニティ磨塼寺主宰。 [永井]哲学者。1951年東京生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。信州大学教授、千葉大学教授を経て、現在、日本大学文理学部教授。専攻は、哲学・倫理学。幅広いファンをもつ。著書多数。 [山下]ワンダルマ仏教僧。1956年東京生まれ。東京外国語大学仏語科卒業後、曹洞宗僧侶となる。米国・日本にて布教・坐禅指導の後、2001年テーラワーダ比丘となり、パオ瞑想メソッドを修了。現在、鎌倉一法庵を拠点に、国内外で坐禅瞑想指導をおこなう。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 藤田/一照 禅僧。1954年愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。87年渡米、禅の指導・普及に従事、2005年帰国。曹洞宗国際センター前所長。オンライン禅コミュニティ磨〓寺主宰 永井/均 哲学者。1951年東京生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。信州大学教授、千葉大学教授を経て、現在、日本大学文理学部教授。専攻は、哲学・倫理学 山下/良道 ワンダルマ仏教僧。1956年東京生まれ。東京外国語大学仏語科卒業後、曹洞宗僧侶となる。米国・日本にて布教・坐禅指導の後、2001年テーラワーダ比丘となり、パオ瞑想メソッドを修了。現在、鎌倉一法庵を拠点に、国内外で坐禅瞑想指導をおこなう(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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著者 [EPUB]からタイトルをダウンロード-電子ブックをダウンロード以下は、〈仏教3.0〉を哲学する バージョンIIに関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
本書を読みこなすには前著を読んでおく必要がある。プレ鼎談さえ、よく理解出来ない。六つの図が復習として掲載され、議論の本筋を教えてくれる。しかし、これがなかなか難しい。①(1)やり取り出来ない自己の生命 →(2)言葉は人の頭で通じ合う→(3)言葉により通じ合うひとつの世界が生まれる→(4ーA)頭で理解する人間は、貧乏=不幸を抜け出して金=幸福を追い求める→(4ーB)人々は対立し合う集団に属しているが、何で対立しているのか理解していない→(5)人々は様々な集団に所属して争い合うが、どの集団も結局は貧乏(不幸)を抜け出して、幸福(金)を追い求めることを頭では理解している→最後に人は、自分が生に生命体験(生きていることを実感)を、生に生命体験される世界においてしていることを知る、という悟りを得る。②(6)の段階において、集団にも、争いにも単独で存在する「我(アートマン)」=「実体」というものはなく(諸法無我)、自己の生命体験(アートマン)は生命体験される世界(梵=ブラフマン)に等しいことを悟るというものである。要するに梵は無我を意味し、「生きている」という実感のみが存在するということだ。③禅宗においては、座禅を組むこと(只管打坐)において、自己の生命を実感する。これが悟りである。六つの図は究極的には悟りへと至るプロセスを図示したものだ。そして、言葉ではなく、自己の身体(生命体験=実感)で悟ることが述べられている。④ということは、禅宗の教えを図示し、それを鼎談によって言葉で表現したのが本書である。説教じみた表現が理屈っぽいが、最終的には永井氏の独我論(ウィットゲンシュタイン)に帰着する。独我論というものは、自分の考え(自分はそう考える)という以外に根拠がない(証明出来ない)ということだ。この場合、自分が生きていることを実感すると述べたとしても、自分の体験以外に根拠がないということを意味する。⑤禅宗の教えは、究極の独我論なのだ。道元の正体は、ウィットゲンシュタインであった。お勧めの一冊だ。

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